ある夏の朝の上海の様子。
とてもガスっています。
ということで短い上海滞在も最終日。この日は午前に上海が誇る高層ビルを登りに行きました。
しかし、まずその前に上海の旧共同租界にある瀟洒な建築物を見てみます。
欧米各国が肩を並べて上海に進出した100年ほど前、当時の面影を色濃く残すエリアです。あたかもアジアに於ける西洋建築のショーケース。
例えば↑の、背の低い方は台湾銀行上海支店ビル。
新古典主義の列柱が印象的な建物です。かつて日本の台湾銀行が入っていたそうです。
そしてそのお隣は、ノースチャイナ・デイリー・ニューズビル。
こちらは1924年に建築され、新聞社が入居しており、当時上海で一番高い建物だったそうです。現在はAIJの支社のAIAが入居。
香港上海銀行ビル
当時のアジアでも最大級の銀行でした。HSBCの栄華を物語っているかのような建物です。現在は中国の銀行が入っています。
川沿いの外灘=バンド以外でも、租界エリアには多数の西洋建築が見られます。
印象的にはバンド周辺は新古典主義、少し奥に行くと1920年代アール・デコ様式などが見られます。
植民地時代がどうであったにせよ、各国の資本による投資は上海に素晴らしい多様性を与えた事は間違いないです。
上海ワールドフィナンシャル・センター
しかし観光客は高層ビルに目を奪われがち。
自分も当時上海で一番高い展望台があった『上海ワールドフィナンシャルセンター』(上海森ビル)に登ってみました。
入場料は180元。大体2600円くらいでしょうか。まあそんなもんでしょう。
一旦地下に潜り、展望台へのエレベーターに乗ります。
そこには上海の人口統計などを示す、ちょっとした展示などがありました。
何かと引き合いに出されるのが、東京。
その後高速エレベーターに乗り込み、一気に94階まで上がります。
六本木ヒルズの展望台にも巨大な東京のジオラマがありましたが、ここにも上海のジオラマが展示してあります。
が、これがまた微妙な出来で一瞬首をかしげたくなるものでした。
確かに電飾とかは頑張っているのですが、なんとも大学の学祭で見るようなレベル。
細部が安っぽいというか。。
それはそれとして、展望台は流石です。
100階の展望回路はかなり長く、多くの人が同時に眺められるのは良いデザインだなと思いました。
で、こちらが肝心の眺め。
確かに少し曇っていましたが、はっきり言ってここまで大気が汚染されているとは思いもしませんでした。
遠方が完全に霞がかっており、とてもじゃないですが美しい光景とは言えません。
なので、電灯の明かりがハッキリ見えるであろう夜の方が、訪れるには適しているかもしれません。
直ぐ目の前にはジンマオタワー。
そしてその奥には上海テレビ塔こと東方明珠電視塔。
近場の超高層ビルも眼下に見えます。
そんなこんなで30分上空450メートル以上に程滞在し、地上に戻りました。
正直な感想としては、微妙・・・
上海のビル群が好きなら、上からの鳥瞰で観察できるので良いかもしれませんが、純粋に景色を楽しみたいのなら、夜のほうが良さそうです。
一方こちらは上海中心を根本から見た図。
その歪(いびつ)な形状と、営業直前の無人感が相まって非常にSFチックなビルになっています。これはこれでとても雰囲気があって良かったです。
角度によっては上海ワールドフィナンシャルセンターもこの様に見えます。
かなりよくデザインされているなあと感心ひとしきり。
とにかく巨大です。
個人的には、旧植民地時代の建物に魅力を感じました。
まず、とにかく多様性に富み目が飽きません。各国の違いも如実に現れているので、色々と思索できるのも楽しみでした。
次に観光客がそこまで興味を示していません。
他の人があまり目を向けない物に注目するのは、楽なのでオススメです。
以上、上海の旅でした
以上が、この旅の全てです。
上海はおろか、中国本土自体初めての経験でしたが、色々と考えさせられるシーンも多かったです。
個人的に一番印象に残ったのは、「虹口」(ホンキュー)ではいい感じの退廃感が未だ残っており、赤羽が好きな自分には居心地がかなり良かったです。
それ以外の場所は観光地化&人大杉でかなり疲れました。虹口はまた行きたいです。
以上
虹口について
清代までは宝山県と上海県に分割されていた。第二次世界大戦中は日本の租界で、「小東京」と呼ばれた。西本願寺、魯迅公園などがある。1848年(道光28年)に南部がアメリカ租界に指定された。