2015年南米横断記12:ラパス→ウユニ村のホテルとウユニ湖
前日の夜、我々を乗せたバスは出発した。 出発地点=ラパスの時点で非常に標高が高かったので、あっという間に眠りに落ちる。その後、おそらくノンストップでバスは南下したと見られる。
気が付くと、バス砂埃を巻き上げながら荒野を爆走していた。あたりがまだ青い早朝、バスはついにウユニにたどり着く。
適当な路肩に降ろされ、若干途方にくれる。こんなに早く着くとは思っていなかった。
これは、街なのか?と土埃にまみれたレンガ作りの街を眺めながらも、まあいいかと納得していたところ、同志Tが腹痛を訴える。バスは行ってしまった後だったので、とにかく駅に行けばトイレくらいあるだろうと駅に向かう。朝の6時に。
駅は無人ではないが駅員がいない駅で、そこそこ立派なのにもかかわらず無人駅感が強かった。トイレを探すとホームにあり、勢い良く駆け込むとトイレおじさん。お金を払い、トイレットペーパーを受け取る。トイレおじさんは妖怪のような雰囲気で面白かった。友人が腹痛を格闘している間、ホームを眺めていると朝にもかかわらず多くの人が列車を待っている。いや、正確には既に列車は入線しており、欧米人などが顔を覗かせていた。ホームにいたのは現地のおばさんやオッサンで仕事に行く風な装いだったが、普通の人々だった。非常に奇妙な雰囲気だった。
駅を出る。宿を探さなくては。まず、地球の歩き方に乗っているホテルを当たる。満室。その他にも安そうなところを幾つか当たるが、どこも満室。残ったのは中~上のホテルのみ。この時、ついつい貧乏バックパッカー自己暗示が働いてしまい、その辺でたまたま見かけた歩き方に載っていないホテルにカチ込む。受付のオッサンの言動が二転三転していて明らかに駄目な雰囲気が漂っていたが、とにかく疲れていたので「もういいよね?」と決定。このボロ宿が本当に駄目だった。
受付からホテル内部に入って即後悔する。便所の前にバケツが沢山。これで流すのか・・・部屋につく。ドアの前の共用部に大量のセメントが放置されており、非常にセメント臭い。どうやら基礎工事を現在進行形で行っているようだ。むき出しで。
部屋にはいる。
パット見、普通だが、シャワー室がコレまたロックな作りで、コンクリ打ちっぱなしにスノコ、水は電熱ヒーターが気休め程度に蛇口に装着されているという、小学校プールのシャワー以下の装備だった。この段階でネタばらしすると、この宿がこの南米旅行ワーストだった。
街へ出て、ツアーを探す。この宿からとにかく抜け出したかった。ウユニの街は、閑散としているようで結構賑わっている。が、朝はかなり閑散としている。みんなスロースターターなのだろう。
道はゴミ溜め。南米なので、あまり気にはならない。
目抜き通りにはツアー会社の小屋が軒を連ねており、このように韓国人と日本人が如何程に頻繁に訪れているかが理解できる。
適当に入って値段を聞いてみたりすると、意外と価格に差があったりする。強引に引きとめようとするので、英語であしらう。
そうこうしているうちに、28位のB系アニキが適当に営業している会社を見つけ、wifiも結構はやく、情報収集がてら長居していたらココの日帰りウユニ観光にまず行ってみることに決める。
30分程待機していると、フォードの中型バスがやってくる。
これに乗り込んだ訳だが、予想以上に白人が多く驚いた。てっきりアジアン祭りになるのかと思ったが、その実15人ほどのグループの中で日本人は我々だけだった。
まずは車をかっ飛ばして汽車の墓場に向かう。超ド定番のスポットだが、実際に初めて見るとその広さに驚く。また、澄み切った青い大気と砂の大地、錆色の列車のコントラストが極めて強烈な事に気づく。
列車を見せられた後、お土産タウンに行ってお土産購入→昼飯のコンボを決める。その後、お待ちかねの塩湖に向かうという寸法だ。ここで事件は起きた。
お土産を適当に見て、地球の反対側での商売の仕方を学んだ後、塩の食堂で昼飯を食べる。ここでの昼食はチキンと蒸した野菜などで、衛生的にはド級のエグさがあったが味はなかなかどうして。とにかく汚えので、この辺は若干抵抗を感じたが、まあ上手く食うしかない。味は悪くなかったし。
と、この後直ちにウユニ塩湖に向かう筈だったのだが、案の定バスがぶっ壊れる。
運転手が下から何やらガタガタやっている。どうやらエンジンではなく、シャフトかタイヤ周りが逝ったようだった。これで2時間以上待ちぼうけを食らう。
他のツアー会社の車は皆塩湖に向かい、お土産タウンには我々だけ。
本当に何もする事が無いので、その辺を徘徊してみるも塩の生産工場とゴミ溜め、あとはひたすら荒野の過酷な環境が広がるのみだった。
徘徊から戻ると、Tはチリ人の女の子二人組と仲良く話している。流石だぜ・・・
暇すぎるので後はひたすらチリ人と話し続ける。ボリビア人の運転手にスペイン語で原因を聞いてもらったり、取り敢えず状況をこの時点で正確に理解することが出来た。
その後、応援部隊が到着しようやくバス出発。おそらく何箇所か見学場所をスキップして、ミネラルが噴出しまくる穴など微妙なものを見せられつつ、次第にあたりの景色が鏡面になっていく。
舐めたら温くて塩の味。
その後、ダカールラリーのモニュメントとか塩のホテルに行くが、いまいち。
オフロードバイクの軍団が通りかかったのだが、あれは本当に面白そうだった。
ようやく辿り着く。
周りに人があまりいない。
遠くには島が見えて良いアクセントになる。
波は凪いでいる。
日が落ちると風が強くなり、波が出てくる。標高が潮力に影響しているのだろうか。
この日は満月に近かったが、太陽と同時にウユニで見る月もなかなかだった。
この写真ではないが、赤い空に浮かぶ月のいい写真を撮りたいならここ以上に良い場所は無いのではないだろうか。
おそらく、当初の予定より大分時間を押して街に帰還したバス一行。着く頃には8時にはなっていて、チリ人と飯を食いに行くことにする。多分同い年くらいで、スペイン語が出来ないのでレストランなどでは本当に助かった。ウユニに行くならチリ人の友達といくか、作った方が良い。
チリとボリビアのセンシティブな関係なども教えてくれるので、ボリビアの人と話す時のネタも教えてもらえる。これぞカオス南米の醍醐味だと感じた。
宿に戻り、泥のように眠る。とにかくセメント臭くて敵わなかった。